山陰海岸ジオパーク野外学習ハンドブック(鳥取砂丘を中心にして)

砂丘地に残る遺跡-砂丘を舞台にした古代人-

位置

鳥取砂丘全域とその周辺

選定理由

鳥取砂丘は第四紀に形成したものであり,人類の活動した時代でもある。化石などの時代を知る証拠に乏しいので人類の遺跡や遺物は時代や環境を推定する上で貴重であり,自然と人間の接点を知ることは重要な視点である。

露頭の観察と遺物の見学

考古資料は貴重な文化財で採集はできない。従って,野外では遺跡や遺物の出土地を観察するだけで,出土した遺物はジオパーク資料館などで観察したり,文献により学習してほしい。


図1 鳥取砂丘と周辺にみられる主な遺跡

砂丘に残る遺跡

鳥取砂丘では縄文時代の早い時期から先史時代の人類遺物が発見されている。最古の遺物は槍先型尖頭器が濱坂から報告されているが詳細は不明である。砂丘の内陸部に位置する栗谷と直浪の両遺跡は縄文時代から古墳時代までの遺物が出土している。追後スリバチ付近や長者ヶ庭付近では古砂丘と新砂丘の境界付近に弥生時代以降の土器や石器が出土している。栃木山や砂丘ゴル場付近では古墳が多く作られている。湖山砂丘でも弥生時代の銅鏃などが多くあり人類が生活していた様子がわかる。鳥取砂丘に居住していたかどうかはまだ,はっきりしないが,草原化した砂丘の上を古代人が活動していたことは石の鏃や土器の散布していることから確かである。鳥取砂丘では古代を示す遺構はまだ見つかっていない。古墳時代以降,長期にわたり砂丘が急速に発達した時期があったことが考えられる。中世になると,砂丘の近くで五輪石塔などが多く出土し,一時期,砂丘の発達が衰退した時期があったと考えられる。白兎海岸の身干山では多数の石塔が砂の下に埋もれていた。


図2 槍先型尖頭器
(県立博物館蔵)

鳥取砂丘特別地区内の遺物の分布

追後スリバチから長者ヶ庭付近の砂丘地表で土器片や石器片が集中して散布していたが,居住祉かどうか不明。摩滅したり,二次的に移動したものと考えられる。

図3 土器などの散布状況 図4 土器片などの散布地
A1.合せヶ谷,A2.追後北, A3.追後西
B4.長者ヶ庭南,B5.長者ヶ庭
C6.オアシス水尻

直浪遺跡

鳥取市福部町直浪の砂丘地南縁が湯山の低地に変わる場所から縄文時代前期以降古墳時代までの遺物を含む複合遺跡が1955年に発見された。砂丘を背後に南面する湧水地で,永く生活の拠点となったものである。石臼や石錘,縄文前期以降の土器など多数産出した。史跡に指定されている。

図5 直浪遺跡を西から遠望 図6 直浪遺跡の標柱
図7 砂丘出土の石鏃 図8 福部町浜湯山の五輪石塔集合墓

五輪石の石塔群

浜湯山の砂丘開発に伴って出土した五輪石を一個所に集めて供養してある石塔群。砂丘が近世に猛威をふるったことが考えられる。

解説

鳥取砂丘では砂丘第一列と第二列の地表には考古遺物はみられない。第二列と第三列の丘間低地及び第三列の火山灰層近くで遺物が散布している。新砂丘の地下には,まだ未知の遺跡が多数有ると考えられる。
1898年,大野雲外によって鳥取砂丘から初めて人類遺跡が報告された。それ以来,徐々に研究が進められ,砂丘の形成時期や,砂丘の草原化の時期,人類の活動期等が明らかになりつつある。

文献

赤木三郎・水村直人・水村美緒(2009)天然記念物鳥取砂丘から産出した石器について(1).鳥取地域史研究,第11号,43-  54.
岩永実(1968)砂丘仁埋没されている古代生活圏.『砂丘』,1968年日本地理学会秋期大会現地討論資料(Aコース)31pp.
梅原末治(1922)鳥取県における有史以前の遺跡.鳥取県史跡名勝天然記念物調査報告書,第一冊, 15-22.
大野延太郎(雲外)(1898)旅中所見.東京人類学雑誌,第151号.
鳥取市(1979)覆刻版鳥取市史.1052pp.
鳥取砂丘保全協議会(2001)鳥取砂丘景観保全調査報告書.

(赤木三郎;2010.9.23)