鳥取砂丘文学散歩 石碑(歌碑・句碑)
目的
鳥取砂丘で読まれた和歌と俳句を自然の中で探索をしながら感じること
対象者
小学生は石碑の存在を知る。中学生・高校生は、文学に興味を持ち、自然の中で歌とか俳句を詠むこと、
歌碑・句碑の場所
砂丘トンネルを抜けて、左折したところから石碑を見て行く。ほとんどの石碑は砂丘側にある。
鳥取砂丘地図(歌碑・句碑は左下地域)
石碑1
(道路右側:砂丘子供の国入口から西へ道路に沿って砂丘側に句碑がある)高浜虚子の弟子の 森川暁水(もりかわぎょすい) が昭和12年に俳句を詠んでいる。
「月荒き 砂丘は古邑 うづむとや」
石碑2
(道路から山側に少し入った所に、廃屋となった砂丘荘があり、その前に句碑がある) 高浜虚子(たかはまきょし)は昭和7年に主宰する「ホトトギス」で、鳥取砂丘を詠んだ。
「秋風や 浜坂砂丘 少しゆく」
石碑1
石碑2
石碑3
(道路の砂丘側に広場があり、その奥に歌碑が建っている)鳥取の短歌誌「」を昭和6年に創刊した枝野登代秋(えだのとよあき)が残した和歌が綴られている。
「砂丘をいくつか越えしが波音のまぢかにきこえて海まだ見えず」
石碑4
(道路の砂丘側に広場があり、休憩舎が建てられ、歌碑が建っている。その文面は読みにくい)有島武郎(ありしまたけお)が大正12年に鳥取砂丘を訪れ、
「浜坂の遠き砂丘のなかのしてさびしきわれを見出でつるかも」
の歌を詠み、その1ヵ月後に軽井沢で心中したことから、遺歌として日本中で注目された。
石碑3
石碑4
石碑5
(武郎・晶子の歌碑: 道路が左へ曲がり、少し行過ぎた砂丘側に、歌碑が建っている。)昭和5年5月25日に、与謝野鉄幹・晶子夫妻が鳥取砂丘を訪れた記念碑である。
「砂丘とは浮かべるものにあらずして踏めば鳴るかなさびしき音に」
与謝野晶子は友人有島武郎への鎮魂歌として、短歌を詠んだ。整備が行き届いてなく、荒れ果てている。周辺を整備し、訪れる人が憩える場所にすることが必要です。
鳥取砂丘へ
5つの石碑(歌碑・句碑)を発見し、その文章を読解したら、自然を楽しみに行こう。違う2つの道筋がある。
- 有島武郎の広場から鳥取砂丘の中に入り、海岸に沿って東へ進み、鳥取砂丘を歩いて砂丘事務所まで歩く。
- 道路に沿って西に進んで行くと、鳥取砂丘開発の研究拠点となった鳥取大学乾燥地研究センターがある。砂丘研究から砂漠化阻止研究へと進展し、先端研究の拠点になっている。
砂丘文学散歩
- クイズ1:石碑に書かれている文章を読めるかな
- クイズ2:有島武郎、与謝野晶子について調べよう
- クイズ3:他にどの様な石碑があるか、探よう。
交 通
鳥取駅から鳥取砂丘行きバス(麒麟獅子号も可)こどもの国入口下車
有島武郎 | 与謝野晶子 | 高浜虚子 | 森川曉水 |