山陰海岸ジオパーク野外学習ハンドブック(鳥取砂丘を中心にして)

鳥取砂丘沖浅海底の沿岸砂州の規模変遷

位置

浜坂砂丘~福部砂丘の沿岸域

選定理由

千代川流域の下流端に位置する鳥取砂丘の姿を,流域一貫の流砂系として捉える。浅海底に発達する沿岸砂州は数10年にわたる流砂の変遷を知る手がかりであり,千代川と鳥取砂丘を流砂の観点から結ぶひとつの要となる。


図1 浜坂砂丘から福部砂丘に至る調査沿岸域

解説

 砂礫浜海岸の浅海底には,しばしば沿岸砂州(offshore bar)と呼ばれる堆積地形が形成される(図2)。鳥取砂丘沿岸の空中写真には,水深の差違を反映して白色帯が認識されるが(図3),これらはまさに沿岸砂州が記録されたものである。沖からきた波は水深が急に浅くなる沿岸砂州の部分で砕けるため,波浪条件によっては,砕波帯の位置から沿岸砂州の存在を推定できる。波の条件に応じて砂浜で繰り返される海岸侵食と堆積のbeach cycleにおいて,沿岸砂州は重要な構成要素となっている(Short,1979)。

 鳥取砂丘沿岸(千代川河口~岩戸の約8km区間)の浅海底に発達した沿岸砂州の規模変遷を5年おきに撮影された空中写真から図化した(図3)。その結果を図4(左)に示す。図4(右)には,千代川行徳観測所における日平均流量が800m3/sec超の大規模出水を1975年~2009年から抽出した(藤井・小玉,2009)。

 1998年と2004年にそれぞれ2回ずつ大規模な出水が千代川で起こり,2003年と2008年の沿岸砂州はその規模を一気に拡大したことがわかる。1950~70年代にかけて盛んに実施されたと思われる千代川の川砂利採取の影響が,1998年まで沿岸砂州の規模縮小としてあらわれていた。1998年以降千代川で4回も発生した大規模出水により,大量の砂が千代川を流下して,2003年以降,沿岸砂州の規模が拡大したものと考えられる。2005年以降には,サンドリサイクル事業が始まった。しかし,それ以前に千代川が多量の砂を運び出した事実をしっかりと認識したい。

 沿岸砂州の規模拡大は,砂浜の回復と細粒化をもたらし,飛砂量の増加が期待される。つまり砂丘地で生じている草原化の状況も,改善する可能性がある。今こそ徹底的な観察とモニタリングの時期であろう。このように数10年のスケールで流域単位の流砂系を読み解き,自然の成り立ちの理解を深めることが今後ますます必要とされる。


図2 沿岸砂州の模式断面(武田,1998をもとに作成)


図3 2003年撮影の鳥取砂丘沿岸の空中写真(上)
とそれより作成した平面図
藤井・小玉(2009)より抜粋


図4 鳥取砂丘沿岸に発達する沿岸砂州の規模変遷と千代川の大規模出水との関係

文献・参考資料

小玉芳敬(2002)鳥取県郷土視覚定点資料(県博の空中写真)は語る その3 ― 沿岸砂州の規模縮小と鳥取砂丘の草原化    ―.鳥取地学会誌,6,35-42.
小玉芳敬(2005)「砂丘開発」森川洋 ・篠原重則 ・奥野隆史 編(2005)『日本の地誌9 中国・四国』,朝倉書店,135-137
武田一郎(1998)日本の太平洋沿岸における後浜上限高度.地理学評論,71A,294-306.
藤井まゆら・小玉芳敬(2009)鳥取県郷土視覚定点資料(県博の空中写真)は語る その5 ―鳥取砂丘沖の浅海底に発達する沿   岸砂州の変遷―. 鳥取地学会誌,13,65-70.
Short, A.D.(1979)Three dimensional beach-stage model. Journal of Geology, 87, 553-571

執筆者のコメント

100年単位で流砂の動向を知ることは砂丘の現状や将来像を考える上で重要な情報です。鳥取砂丘沖の沿岸砂州の規模変遷は,流域単位での流砂現象を知るひとつの手がかりと言えます。

(小玉芳敬・藤井まゆら;2010.01.07)