山陰海岸ジオパーク野外学習ハンドブック(鳥取砂丘を中心にして)

鹿野断層・吉岡断層(1943年鳥取地震断層)

目的

地震断層を観察し,地震と地震断層,活断層を知る。そして,地震災害の恐ろしさを,1943年鳥取地震を学習する。

対象者

地震について学ぶ中学生,高校生,大学生,一般の人

位置

鳥取市南西域
鹿野町,吉岡町(吉岡温泉)

概況

1943年(昭和18年)9月10日,鳥取県東部を震源とするマグニチュード7.2の大地震が発生し,鳥取県東部地域で1,083人の死者を出す,甚大な被害を受けた。被害は鳥取平野に集中し,強震動による倒壊家屋・火災と液状化現象による地盤沈下・砂噴火などで,鳥取市は壊滅的な被害を受けた。この地震により,鳥取市南部にほぼ東西走行の雁行した右横ずれ型の地震断層が出現した。


図1 鹿野断層・吉岡断層の全貌(津屋弘達,1944)

鹿野断層

長さ約8 kmの右横ずれ断層の形状である。北側が東方に最大1.5 mの横ずれが観察されている。しかし,上下変位があり,断層の西半分では北落最大75 cm,東半分では南落最大50 cm,という珍しい「蝶番断層」の形状を示している。断層の西端は鷲峰山の西まで延び,鹿野町木幡から末用,法楽寺を通り,峠を横切り,洞谷から双六原へ抜けている。ここまでは北落ち成分であるが,双六原で上下成分が0となり,口細見から細見の谷に沿って東へ延び,上段,下段の河岸段丘の地形に沿って野坂まで達している。

末用川は断層によって寸断され,末用集落の農家では,地震前になかった地震断層が地震後家の下にできていたが,家は全壊したが倒壊しなかった。谷間の平地にある田圃には段ができ,しばらくは断層を境に,2枚の田圃として使用されていた。細見の谷では,断層によって地下水脈が寸断され,水が枯欠した所や新たに湧水が吹き出所があった。

吉岡断層

全体の長さは約4.5 kmで,北側が東方に最大50 cmずれている右横ずれ断層である。しかし,上下変位も最大50 cmを記録している。西端は長柄から吉岡温泉の南の集落を南北に走る県道が断層によって分断され,温泉街の南東の山際を通り,三山口へと抜けている。断層地形の山間部を通って大塚,野坂の集落に大きな被害を与えている。津屋弘達先生の踏査はここまでであるが,1980年の詳細な再調査では野坂から東へ宮谷から有富川流域の本高から千代川流域の菖蒲集落へと延びていることが見られた。

断層の種類:断層には正断層(縦ずれ),逆断層(縦ずれ)と横ずれ断層(右,左)がある。
活断層:第四紀に断層が活動した証拠があり,今後も活動すると推定される断層。地形やトレンチ調査で発見される。
地震断層:地震現象は地下の断層が生成される時に地震波が生成されることである。この地下の断層を震源断層と言い,大地震の時に震源断層の1部か,副次的に地表面に現れる断層

「鳥取県の天然記念物」鹿野地震断層跡:鳥取市鹿野町末用

「鹿野断層が農家の家下を走り,地震前から1.2 mずれたのに,家は倒壊しなかった」と1943年地震直後に写された写真が残っている。現在,農家前の水路と石垣のずれが「鳥取地震の地震断層痕跡」として天然記念物に指定されている。

図2 鹿野町末用・兵主氏宅前用水路付近の詳細平面図(左上), 用水路底の断面図(左)と右横ずれ1.2mが生じた農家家屋の写真(右上)

鳥取地震の概況

昭和18年9月10日17時35分,鳥取市の西南西約12kmの吉岡,鹿野断層を震源した都市直下型内陸地震であった。鳥取市は震度6の激震を記録し,家屋の倒壊と火災により壊滅的被害を受けた。震災小誌によると死者は1210人,重軽傷者は3860人で,鳥取市街地がそのほとんどを占め,鹿野町,大正村,湖山村が続き,山地の八頭郡の死傷者は少ない。死傷者の大部分は家屋の下敷きになったが,道路が狭いため倒れてきた家に押しつぶされた例もあった。家屋全壊は13295戸,半壊は14110戸で,鳥取市,米里村,面影村,大正村で倒壊率が50%を超え,次いで千代水村,湖山村,豊実村が30%以上であった。又,地震に伴う大火災が地震発生数分後に起こり,299戸が全半焼(全焼289戸,半焼10戸)した。道路は液状化現象で路面沈下や亀裂を起こし,山腹の地滑り,崩れ,土石による埋没,決壊も発生し,鳥取県東部の道路は全て途絶した。さらに落橋,橋脚や橋の沈下,欄干の倒壊など,鳥取市付近の橋は全て破損し,堤防や護岸の崩壊も多数発生した。山陰本線と因美線は沿線の至る所で地盤の陥没,線路の歪,トンネルの崩壊などが発生し不通となった。通信も,電柱破損,架線の切断等で電話は全て不通となった。無電もアンテナ架線と電線の切断で受信も送信も不能となった。

(西田良平;2010.02.10)