山陰海岸ジオパーク野外学習ハンドブック(鳥取砂丘を中心にして)

湖山池の石かま漁

目的

湖山池の自然を観察することで,湖山池の形成歴史,漁業・農業への利用,汽水湖の水質などについて学ぶ。

対象者

自然環境について学ぶ中学生,高校生,大学生,一般の人

位置

鳥取平野の西端,南と西は山が迫り,北は湖山砂丘から日本海,西は鳥取平野に面している。周囲約16kmの湖で,海面の高さが海面と同じで「汽水湖」の分類になる。


湖山池の風景(Wikipedia より)

湖山池の大きさ

周囲は16km,最大の幅は東西が4km,南北が2.4km面積は約6.8平方kmで,水深は2~4mと浅く,最大水深は竜ヶ崎沖の6.5mである。日本の湖沼では32番目の大きさであり,汽水の海跡湖では17番目,池と名の付く湖沼では日本一である。

湖山池の生物

夏期には,ヨシ,マコモ,エビモ,アオミドロなどの植物とタニシ,カラスガイ,モクズガニなどの底生動物,コイ,フナ,シラウオなどの魚類が生育し,冬はマガモ,コガモなどの水鳥やプランクトンも多い。

形成史

鳥取平野が形成されてきた最終段階,古砂丘が形成されたことにより海と切り離され「古湖山池」ができ,縄文海進により日本海とつながり,その後,新砂丘が形成されていったことで砂丘の背後に取り残された潟湖(せきこ)です。日本海と湖山川から海水の流入がある。池には青島,猫島,津生島,団子島などがある。

石かま漁湖山池固有の伝統漁法

湖岸から沖に向かって開いた扇型や馬蹄形に石を積み上げて,石釜を築きます。石釜の最下部には何本かの魚道があり,追い込んだ魚を捕獲する胴函(どうかん)に通じています。石釜に潜む魚を捕る作業を「石釜揚げ」と言い,1月下旬から2月の厳冬期の静かな天気の日に,数人以上の勢子で数時間から10時間ほど,突き穴を突き棒で突き,魚を魚道から胴函へと追い込んで一網打尽にします。捕獲される魚は在来種のフナが主です。

石釜の形状(湖山研究所より) 石釜漁(湖山研究所より)

湖山八景と文学作品の湖山池

「稲葉佳景 無駄安留記」に記述があります。そこでは「湖上八勝」として出てきます。野崎落雁・矢山暮雪・三津帰帆・福井晩鏡・松原夜雨・高住夕照・布施晴嵐・湖山秋月『因伯名勝和歌集』(県図書蔵)には湖山池を詠った詩が掲載されています。

夕日さす波路をかけて青島の春めく空もさびしかりけり 中島宜門
鳰の海をうつす夕べのながめかな小山の池のすめる月影 藩主 池田光仲

島崎藤村の『山陰土産』内にも,湖山池(湖山長者)について触れています。志賀直哉の「暗夜行路」にも,湖山池の風景の描写と「湖山長者」の話が出てきます。

湖山長者の話

(湖山池研究所「湖山長者」より編集)
高草郡の湖山の里に,赤坂の長者と呼ばれるたいへん大金持ちの長者が住んでいました。
この長者は,他のどの長者よりも,たくさんの田畑を持ち,宝物もどっさりと蓄えていました。
さて,長者のやしきでは,毎年のように田植えがあります。
今年も,長者の村では,村人みんなで田植えを一日で終わらせるのがならわしです。
ところが,田植えの最中に,子供を逆さに背負ったサルを見つけ,田植えをやめ,腰を伸ばしてそれを見ていた。
すると,いつもは日暮れまでに終わるはずの田植えが,お日様が西の空へしずみそうになっているというのに,まだ大分残っているではありませんか。
「これはたいへんだ」
長者は,いちばん大切にしている金の扇を持ち出し,沈みかけている太陽に向かい,扇を招きながらこういいました。
「太陽よ,いっときの間戻ってくれ」
するとどうでしょう。西の山へ沈みかけていた太陽が,ふたたび上りはじめたではありませんか。こうして,無事に長者の田植えは,いつものように一日で終えることができました。
ところが,あくる日,長者が自慢の田んぼに行ってみると,昨日植えたばかりの田んぼが一夜のうちに大きな池となり,まんまんの水をたたえているではありませんか。
人々は,長者がお日様を招いた罪で,大切な田んぼが池にかえられたとうわさするようになりました。
その池が,ここ,湖山池なのです。

(西田良平;2010.02.15)