プログラムPROGRAM

ことばの再発明
−鳥取で「つくる」人のためのセルフマネジメント講座−

フォーラム③〜成果発表企画

2021.02.12

テキスト:nashinoki / イラスト:蔵多優美

連続講座「ことばの再発明」の成果発表の一環として、受講生が鳥取県出身の芸術文化活動者と「表現とことば」ついて対話を行うフォーラムの第3回目が行われた。ゲストはイラストレーターで鹿野芸術祭のディレクターも務めるひやまちさとさん。今回は受講者のうち井澤大介さん、奥井彩音さん、にゃろめけりーさんが対話を行った。

当日、ひやま家では別室でカルタ大会が開かれており、画面の向こうに賑やかな雰囲気を感じながら、まずひやまさんの自己紹介を聞いた。ひやまさんは1988年生まれ、3歳から18歳まで鳥取県鹿野町で過ごし、高校卒業後関西に出て大阪で長く暮らし、3年前に鳥取県若桜町に移住した。ひやまさんの活動には大きくわけて三つの柱がある。まずイラストレーション、デザイン、作家としての創作などの制作を行う仕事。最近は鹿野のパン屋「一心庵」の仕事のようにライター、カメラマンと組んで、イラストも含めたディレクションを行う仕事も増えているという。また作家としてリトグラフの版画作品を作り、個展も行なっている。

二つ目に鹿野芸術祭の企画・運営がある。2016年からはじまった鹿野芸術祭に、当初は地元に関わりのあるアーティストとして、2018年からは企画側として参加している。企画として関わった3年目からはチームとしての運営体制になり、鹿野で展示することに意味のある作品を求め、アーティスト・イン・レジデンス(以下AIR)の要素が加わった。4年目には芸術祭の開催が楽しくなってきたが、5回目の昨年は新型コロナウイルスの影響により方針の変更を余儀なくされた。そのため2020年は、2名の作家の活動を印刷物とウェブで紹介する形となった。三つ目の軸としてあるのが、ひやまさんが若桜町にオープンした「ギャラリーカフェ ふく」の運営だ。店を開いたのは、若桜に引っ越したとき、この町と仲良くなるには自分を開くことが一番だと思ったからだという。ゆっくりしてもらいたいとカフェも営業しているが、貸しギャラリーではなく自身による企画展だけを行い、重点はギャラリーにある。もともとうどん屋だった建物で、移住を決めたのはこの建物がよかったからという理由も大きい。AIRも行い、今年もPCR検査を受けた2名の参加を予定している(当初予定されていたAIRは、新型コロナウイルス感染症の影響により、延期となっている。〈2021年2月12日時点〉)。

フォーラムでは井澤さんが司会を務め、まずにゃろめけりーさんが質問を行った。ひやまさんは多岐にわたる活動をしているが、どれか一つに軸があるのか、それともどれも等しく力を入れているのか、また、まだ他に披露していないアイデアがあるのかと尋ねた。ひやまさんは「どれも同じくらい全力でやっていて、自分にとっては全部生活の一部」「たくさんのプロジェクトをやることはいろいろな人に支えられることでもあるが、こうなったら楽しいだろうな、これを他の人と一緒にやったら楽しいだろうなと思うと、スイッチが入っちゃう」と答えた。このような活動はひやまさんにとって、「わたしをかたちづくる」ことだという。これまでひやまさんには、自分自身が崩されるような出来事が何度もあった。痴漢やレイプのようなことも遠い出来事ではないし、結婚して名字を変えることや、自分のお腹を切って小さな命を出す出産もそのような経験だった。その度に自分を立ち上げ、かたちづくるということを繰り返してきた。女性として生きていくことが、自身の大きなテーマとしてあるとひやまさんは言う。にゃろめけりーさんも、以前同じような経験があり、それをもとにZINEを作ってきた。しかしそれがモノを作ることにつながっていて、「わたしも人生の目標はわたしになること」とひやまさんに応じた。負の側面だけでなく、そのような出来事があることによって自分を再び作ることができ、変えていける。「いつ、どこにいてもひやまちさとだということをかたちづくっている最中」というひやまさんの言葉が印象に残った。

続いて奥井さんは、ひやまさんが若桜や鹿野でアートに関わる活動を行うことで起こった変化について質問した。ひやまさんが育った鹿野町には、古くから町民ミュージカルがあり、「鳥の劇場」の活動や空き家を用いた街づくりもあって、アートと日常との距離が近かった。それに対し若桜町は、自然との共生環境が厳しいことから、木地師や石工、猟師など自然と関わる文化が豊かで、野性味や「手つかず」の感じあるという。「ふくではできるだけ生活の中に溶け込んでいくような作品を、長い時間軸で取り上げていきたい。みなさんここにすごく恐る恐る来てくれて、それが嬉しい」とひやまさんは答えた。奥井さんの質問の背景には、移住した智頭町での経験があった。東京で美術系の高校を卒業した奥井さんは、鳥取でデザインの仕事を頼まれたが、相手とのデザインに関する感覚のちがいに驚くことがあり、地域とアートとの関係を考えることがあったという。自分は移住した智頭がとても好きなので、何らかの形で、ひやまさんのように芸術に関する自分の感覚を発信できたらいいと思っていると奥井さんは話した。ひやまさんは、「フリーで仕事をしているといろいろなことがあるので、デザインというよりどれだけコミュニケーションを取るかが重要だと思う。自分のデザインには自信を持ちつつ、でも変えてほしいと言われることには何か理由があるはずなので、それを汲み取れるようになったらいいですね」と具体的なアドバイスも行なった。

幼い頃集団行動が苦手だったという井澤さんは、ひやまさんと同じく図書館や習い事の教室など、鳥取の様々な「サードプレイス」に助けられ、そこで生き方や表現に対する大きな影響を受けてきた。「深夜の美術展in鳥取」など鳥取で様々な企画を行う井澤さんは、ひやまさんの活動と鳥取という場所の関係について質問した。ひやまさんが高校を卒業し関西に出たのは家族に勧められたからだったが、ずっと鳥取に帰りたいと思っていたという。その背景には、高校時代の演劇経験があった。鳥の劇場が活動を始める前、主催の中島諒人さんが演出する舞台に参加したことがあった。いろいろな世代の人がいたが、そのとき中島さんから「高校生だろうが60代だろうが芝居に対して命をかける気持ちでここにいないのはだめだ」と真剣に怒られたことがあったという。「大人が表現することに対し全力で向き合ってくれたことで、何かが入れ替わった感じがした。あのときがなかったら、今こうやって絵を描いている自分もいない。こんなすごい人が東京じゃなくて鳥取にいるんだから、自分も帰らなければと思っていた」。鳥取の表現者が与えた、ひやまさんへの影響の大きさを感じた。

質疑応答の時間には、鳥取出身で現在東京に住み働きながら小説を書いているという男性が画面に登場し、創作することへの態度について質問した。ひやまさんは「版画など自身の作品を作るとき、自分の気持ちがどれだけそこに乗っているか、作品の表面の背後に自分がどれくらいいるかを考えている」と助言し、男性にもその言葉が響いたようだった。

この日ひやまさんの映る画面の中には、時折お子さんの姿ものぞき、前回のフォーラムとは対照的に、生活の中における表現ということを考える様々な話題が上がっていた。

ひやまさんの話を聞いていると、ひやまさんが育ってきた町や人々、いま住んでいる土地、一緒に暮らしている家族、これから作ろうとしている世界、そういった風景が目の前に立ち上がってくるようで、しかもそこへ受講生それぞれの世界が少しずつ重なっていくような透明性を感じた。ひやまさんが生きている世界は、わたしたちそれぞれがいる場所でもある。そんなある意味当たり前の、しかしあまり改めて意識することのない感覚を、この対話から筆者は感じた。それはひやまさんが、限られた時間の中でも、目の前にいる人たちとともに、同じ一つの世界を作り上げようとする姿勢をもつ作家だからなのかもしれない。

その時間はまた、この鳥取という場所の今がどのようなものであるかを、浮かび上がらせるようでもあった。そのような対話が生まれたことには、受講生がやわらかでまっすぐな姿勢で、ひやまさんに向かっていたことも関係していたように思う。このフォーラムから開けていく世界がどのようなものになるのか、楽しみに思う。

フォーラム「鳥取で出会う表現とことば」〜「ことばの再発明」成果発表企画の概要はこちら

プログラムトップへ