プログラムPROGRAM

鳥取の美術&文化リサーチ講座
「現代美術を学び、鳥取美術&文化を調べる」

講座各回レポート

2021.02.26

テキスト:紺野優希

『JAT』について語る中ザワヒデキさん

第1回(10/15)

「鳥取の美術&文化リサーチ講座2020」のアウトラインについて紹介。ゲスト講師を迎える回では、幅広い意味でリサーチや編集に携わる方々がトークを受けもつ事に。現場での微視的な観察力も求められるが、一方で、ワイドな考え方や捉え方をしながらアプローチしていく方法の、二つのパターンを磨いていける講座構成になっている。

第2回(10/29)

この回では筒井宏樹先生による鳥取美術についての紹介が行われた。もちろん舞台は鳥取になるわけだが、より重要なのは日本の近現代史と結びつけ、その一点にとり収めることなく、いかに対照し周辺と関係付けながら、定説や歴史を書き換えることが可能であるか、模索することにある。例えば、土方稲嶺の作品を追うことで、彼の生涯だけでなく、後期江戸画壇の系譜を鳥取(当時の因幡)地域から辿ることも可能である。そうすることで、山陰が「裏日本」としてどのように表象されるかだけでなく、その表象がどのような根拠によって支えられているか、改めて考えることに繋がった。

第3回(11/12)

アドバイザーによる自己紹介。私紺野優希は、韓国のここ数年のアートシーンを画像メインで紹介。きりとりさんはヴァナキュラー写真についての紹介。両者共に批評家というスタンスに収まりきらない活動をしていて、きりとりさんの場合は「写真」というメディア/メディウムを扱うことに、その色が強く出ていると思えた。無意識の内に残され、また今日ではスマートフォンなどで誰もが写真を撮れるようになった時代に、写真とは、そして仮に芸術の一ジャンルを占めるのであれば「芸術写真」とは、どのように位置づけられるのか。このような問題意識は、「韓国の美術」を国民性や民度という言葉を介さないで伝えるかという課題と共鳴しているように思えた。

第4回(11/26)

成相肇さんによる、批評家の石子順造と花田清輝の紹介。美術手帖の劇画特集や記録芸術の会などの事例を挙げながら説明を聞くことで、両者の批評観が垣間見れた。何を批評するかという問いに対して、両者は共に考察対象になりえないものを、論議として展開しているように思えた。劇画や歌声運動などに注目することによって、彼らのアプローチは、既成論壇に向けた批評的な態度として働き、それまで捉えきれなかった事象を分析することに繋がった。

第5回(12/3)

中ザワヒデキさんによるJapan Art Today(以下JAT)の紹介。当時記録されたフロッピーディスクのコンテンツを見ながら、JATの活動について聞いた。中村政人が中心人物となって、当時路上で行われた活動も、しっかりと記録に残されている。一種のアートメディアということもあって、写真記録だけでなく、文章も残されている。全体的にしっかりとした構成がとられている点では、今日のメディアやネットワークサービスとは異なっている。私自身も編集活動をしていることもあって、コンテンツは量と構成力が問われると、共感できた。

第6回(12/10)

山本浩貴さんを迎えての講評。今回はオンライン講座ということもあり、鳥取に在住している人だけでなく、移住予定の人や、鳥取に以前訪れたことのある人、など、様々な受講生が集まった。発表を聞きながら膨大すぎるテーマがなく、それぞれのテーマに沿って綿密にアプローチしているのが素晴らしかった。個人的には表象問題(白井権八・絵葉書)を扱ったテーマが興味深かったが、ほかの発表もみな個人の経験や疑問をもとに展開されている点が、とても自然でよかった。

第7回(12/18)

アートを伝達するメディアの活動について、アンドリュー・マークルさん自らの体験をもとに紹介。Art Asia PacificやArt itにかけて、幅広くメディアが多様化していく中で、アジアの現代アートが注目されはじめた時期についても言及。2000年代、アジアのアートを西洋に紹介する過程では、オリエンタリズムに直面しているようにも思えた。その上で、改めて(幅広い意味の)メディアの役割を考えてみた時に、現地の声をいかに伝えるかが重要なポイントになってくるだろう。その点で、ARTFORUMで高田冬彦さんを紹介したり、あいちトリエンナーレと表現の不自由展の動向などをいち早く伝えたマークルさんの活動は、メディアの方向性を考える上でヒントになるだろう。

第8回(1/7)

彫刻像の意味変容について、小田原のどかさんの経験談をもとに聞くことができた。過去を記す=標すことから、何かを治癒するものに意味が変わってきた原爆爆心地に置かれた像について触れながら、彫刻と表象の問題意識を述べてくれた。これは表現される対象の意味についても当てはまる。愛の象徴に母子像をモチーフにするといった行為をはじめ、何かを表すことについて、何かを代表したり一般化することの危うさについて、考えさせられた。この問題は彫刻だけに限らず、芸術一般も同様に、今後考えてゆく必要があるだろう。

第9回(1/10)

吉竹美香さんの活動を具体的に振り返りながら紹介。もの派や村上隆をアメリカ紹介したように、他国で日本の美術を紹介することの難しさややりがいが伝わってきた。たとえば「ワンダーフェスティバル」の説明をどう位置づけて紹介するか、図録掲載やリサーチ過程で扱う文章を理解して翻訳する、といった一連の伝達の仕方。また、美術館とインディペンデントな活動を比較しながらやりやすさとやりづらさを、経験談を交えながら語ってくれた。縛りが強くなってしまうのは、日本や韓国とも変わらないと思った反面、2012年のダグ・エイケンのプロジェクションのように、美術館が社会に切り込めるスリットとして機能している点で、日本とは役割が少し違うように考えさせられた。

第10回(1/28)

受講生によるリサーチ発表。前回(第6回)とくらべて、リサーチのテーマがスタイリッシュになった。前回指摘した内容が、結果的に受講生の発表や文章で簡潔にまとめられて、情報量を抑えつつも本題として凝縮された印象を覚えた。

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