民意」は一通りではない

―米軍岩国基地問題と住民投票・市長選挙―

 

住民投票の基本的な形式は、 “yes or no” の二者択一である。首長や議会などと比較して、専門的な知識や情報の保有量が相対的に少ない一般の有権者にとっても、シンプルで分かりやすいというメリットがある。また、いずれか一方が必ず過半数を超えることから結果が明確になりやすいということも、住民投票の利点の一つと言える。

しかしながら、投票対象となる争点によっては、「賛成」「反対」だけでは住民の多様な意思を吸収しきれないケースもありうる。すなわち、二者択一の住民投票に直面した有権者は “All or Nothing” の選択を強いられることとなるため、両者の間で揺れ動く有権者にとっては、必ずしも「賛成」または「反対」への投票が明確な意思表示とはなり得ない(塩沢,2004b,105)。したがって、ここでの根本的な問いとして浮上してくるのは、「賛成」か「反対」かという設問形式は果たしてどの程度まで妥当なものなのか、ということであり、さらに言えば、住民投票が「民意」を表出するための政治決定手法としてどの程度までその機能を果たしうるのか、ということになる。

そうした観点から見て、本稿で分析対象として扱う山口県岩国市の基地問題およびそれをめぐる住民投票・市長選挙は、示唆に富んだ事例と言える。政府の発表した米軍再編案に絡んで2006年3月に同市で行われた住民投票では、空母艦載機部隊の厚木基地から岩国基地への移駐に「反対」が「圧倒的多数」であった。この住民投票の8日後に周辺町村との合併により新・岩国市が誕生したため、同年4月に市長選挙も実施され、自ら住民投票を発議した旧・岩国市長の井原勝介が「移駐案の白紙撤回」を公約に当選を果たし、移転を前提とした国との現実的な協議を訴えた自民推薦の新人・味村太郎を約3万票差で退けた。この2つの投票結果をもとに、「民意」は「白紙撤回」であるとして、井原は移駐案撤回を一貫して国に求め続けた。

ただ、住民投票における反対票も、市長選における井原への票も、全てが直接「移駐案の白紙撤回」に対する意思表示をしたものとは言えない。とりわけ基地問題のような政策争点の場合、「賛成」「反対」だけで割り切ることは極めて難しく、より実態に沿う形で「民意」の分布を表出することは容易ではない。そのため、有権者の投票によって示される「民意」は、争点提示の仕方や投票実施のタイミングなどによってしばしば形を変えうるものであり、一般の有権者やマスメディアが考えるほど絶対的なものではない。すなわち、単一の住民投票や選挙で示された「民意」は、それ自身が完全に有権者全体の中で固定されたものではなく、比較的おぼろげな形で存在するものであると捉えるのが適当と思われる。

このような「民意」の不安定さを前提としたうえで、ここでは「民意」の形成過程を、「投票に先立って存在する潜在的な『民意の分布』が、形式的に一定の正統性を有する住民投票や選挙によって『可視化』され、その後さらに、有権者の間で『再構築』されていく」ものとして捉え、分析を進めていく。つまり、本稿が問題とするのは、端的に言えば住民投票における「民意」の「可視化」の方法についてであり、多様な「民意」を多数決という形で集約することの、ある種の限界性である。

 住民投票と選挙との間で「民意」の表れ方にズレが生じる「民意のねじれ」現象については、すでに塩沢(2004a)などが明らかにしたとおりであり、両者における争点提示のされ方の違いや、住民投票において若年層の投票率が相対的に上昇することなどが、その要因とされている。本稿では、そうした投票の対象・種類によってのみならず、全く同じ争点であっても、住民投票における質問の仕方によって「民意」の表れ方が変わる可能性が多分にあるということを、筆者が岩国市で実施した郵送調査をもとに、計量分析も交えながら実証的に示したい。加えて、同じく艦載機移転問題を大きな争点として、住民投票の約1ヵ月後に実施された市長選挙についても分析を試み、住民投票との「民意」の表れ方の違いについて検討したい。