住民投票における選択肢の設定と投票参加

―「平成の大合併」をめぐる一連の事例から―

 

総務省のまとめによると、全国に約3,000あった市町村は200641日の段階で1,820に再編された(『朝日新聞』200641日)。市町村数が約4割減少するという文字通りの「平成の大合併」の中、注目を集めたものの一つが住民投票である。合併の是非を有権者の「一票」に委ねる自治体は、当時の合併特例法の期限が迫るにつれて各地で急増し、全国初の合併をめぐる住民投票が20017月に埼玉県上尾市で実施されて以降、同法が失効する20053月末までの間に418件の事例を数えるまでに至った。

我が国で住民投票を行う場合、議会で可決された「住民投票条例」に基づいて実施するのが一般的である。議会の過半数が同意しない限り住民投票条例は成立せず、また仮に条例案が可決された場合でも、首長が再議権を発動すれば廃案となる可能性がある。つまり、住民投票の実施件数の爆発的な増加は、これまで総じて「間接民主制を否定するもの」として住民投票に否定的と思われていた首長や議会の多くが、「平成の大合併」においては住民投票を採り入れたことを意味する。では、そうした背景には、首長と議会との間にどのような政治的な関係があったのだろうか。今回の大合併においては、主に次の3つのパターン―@首長と議会が協調関係にあるケース、A首長と議会が対立関係にあるケース、B両者のいずれも明確な判断を示さないケース―があったと考えられる。

@のケースにおける住民投票に関しては、行政に対する信任投票のような形でしばしば実施されるとともに、住民への情報提供が一方の立場に偏るような事例も散見された。またAやBのようなケースにおける住民投票は、合併問題をめぐる行政の停滞を打開する役割を果たす一方、住民への情報提供が不十分と思われる事例も少なくなかった。加えて、いずれのケースにおいても、住民投票が首長や議会の「責任逃れ」、すなわち合併後、もしくは合併しなかった場合の住民の反発を「住民投票で決めたこと」として抑え込むことを目的として利用された側面も、少なからずあったと思われる。首長や議会の側にいかなる思惑があるにせよ、より多くの有権者の参加によって住民投票が成立することが望まれるところであろう。

しかしながら、各事例を概観すると、住民の関心が高まらずに投票を終えたケースも散見され、後で詳しく見るように、投票率にもばらつきが目立つ。全国で最高の数字を記録した沖縄県多良間村の住民投票が投票率92.61%であったのに対し、最も低い同県西原町では30.19%にとどまり、開票も行われていない。投票率が伸び悩んだ事例には、合併問題に対する住民の関心がそれほど高くなく、賛否両派に目立った動きがなかったケースも多かったことが、新聞記事の内容などから推察することができるのだが、そのほかにも、各自治体の住民投票を取り巻く様々なシチュエーションが、有権者の投票行動に一定の影響を及ぼしていると予測される。

今回の「平成の大合併」をめぐる住民投票に関しては、地方自治研究の分野を中心として、今後とも功罪両面に焦点を当てたさまざまな評価がなされることであろう。ただ本稿では、そうした「評価」という次元からは離れて、住民投票における有権者の投票行動を規定した要因に関し、アグリゲート・データを用いて客観的な視点からの実証分析を試みることを目的としたい。具体的には、住民投票をめぐる種々の技術的な論点の中から、選択肢の設定の仕方に着目し、「住民投票条例」に基づいて行われた住民投票のみを分析対象として、検証を行うこととする。