無駄安留記隊

補陀絡山慈眼寺観音院



1632年頃、宣伝法印は栗谷に寺地を与えられて観音寺を興し、聖観世音菩薩の尊像を賜り本尊とした。その後寺地は藩の御用地となり1639年上町の現在地に移り、補陀絡山慈眼寺観音院と号した。1709年二代藩主の代に藩の祈願寺となり、寺格の高い「八ヶ寺」に列した。

無駄安留記 観音院絵図 観音院の庭園は江戸前期を代表する池泉観賞式のものである。元禄期に移った際に作庭されたものと推定されている。無駄安留記の絵図とほぼ同じ構図を残しているが、別館の位置が若干ずれているのは、明治に建て直ししたためである。