無駄安留記隊

如意山養寿院 臥雲松 薬師堂弁天祠



「岩がねに生ぬる松も露霜を くにせんねむの色とこそ見れ」    『無駄安留記』より

明治3(1870)年、当時寺町にあった最勝院が、藩の命令により養寿院の場所に移って二つの寺院は合併し、寺号を最勝院とした。その後昭和27年の鳥取大火で全焼。『無駄安留記』の絵に描かれた建物は、左から庫裏、本堂、木山堂、鐘撞き堂と言われている。巌上に根ざした「当府第一の名株」と謳われた松は枯れてしまった。臥雲松の石碑は当時のものであり、『無駄安留記』での位置は松の前にあったとされているが、現在は移動されている。薬師堂の弁天の祠は現在、それがあったとされる空き地だけが残っている。