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《貝殻節》再発見

公開講座〜《貝殻節》の歴史〜

2021.01.21

テキスト:鈴木慎一朗 / 写真:西岡千秋

以下の流れで、鈴木が《貝殻節》の歴史について話をしました。

(1)当時の教育の動向
(2)SPレコード、ラジオの普及
(3)新民謡とは…
(4)《新民謡 貝殻節》の特徴
(5)戦後の《貝殻節》

古くから唄い継がれてきた日本の民謡は、作詞・作曲者は不詳で、口頭伝承により広がりました。それに対して「新民謡」は、大正から昭和戦前期にかけてSPレコードやラジオを通して流行し、作詞・作曲者も存在します。「新民謡」の種類として、「①芸術歌曲的な新民謡、②民衆のための新民謡、③観光宣伝的な新民謡」があります。

1927(昭和2)年、成徳尋常高等小学校(現、倉吉市立成徳小学校)で開催された「夏季音楽大講習会」において、《三朝小唄》が発表されます。《三朝小唄》は、野口雨情(1882~1945)作詞、中山晋平(1887~1952)作曲、島田豊(1900~1984)振付によりつくられた、鳥取県初の新民謡です。この講習会に、鳥取県師範学校附属小学校教員であった、三上留吉(1897~1962)が参加しており、《三朝小唄》に心酔します。

浜村温泉は、1883(明治17)年、浜村の鈴木寛平により、製紙用井戸を掘ろうとしたところ偶然、発見されます。1907(明治40)年、浜村駅ができます。1913(大正2)年、「煙草屋旅館」、「小谷旅館(現、「旅風庵」)」も開業します。

1932(昭和7)年、浜村駅前で雑貨商を営んでいました、上田平十郎が、全国的に知られていなかった浜村温泉をレコードを通して宣伝したいと思いつきます。上田は「野口雨情や中山晋平等民謡の大家に委嘱する程の才覚もなく、地元識者の協力以外に唄を作る手だてはありませんでした」と回想します。そして、松本穣葉子(1910~1991)に相談します。松本は、知り合いの附属小学校や公立小学校の教員らを煙草屋旅館に集め、新民謡の創作を企画します。

作曲は三上留吉が担当し、当初の計画では、レコードのA面に《浜村小唄》、B面に《浜村湯もみ唄》と新作を予定していました。しかし、三上は、新作は《浜村小唄》のみにし、もう片面に《新民謡 貝殻節》とする提案を打ち出し、一同も賛成します。

かつて鳥取一帯の日本海では、板屋貝が採れ、《貝殻節》は労働の際に唄う、古くから唄い継がれてきた日本の民謡でした。1929(昭和4)年を最後に板屋貝がとれなくなり、《貝殻節》も忘れられていました。

三上は、《貝殻節》の節回しをよく知った古老に出会うことができ、採譜します。歌詞は、野口雨情の助言を受けながら、松本穣葉子によって改詞されます。このようにして《新民謡 貝殻節》が誕生します。

当時のSPレコードの1枚の価格は、テイチクやタイヘイ等ですと1円でした。それに対して、大手のコロムビアやビクターになりますと、1円50銭となりました。なんと《新民謡 貝殻節》は、地元が費用を負担する方法で、1933(昭和8)年、コロムビアから発売されます(600枚)。コロムビアとは、NHK連続テレビ小説『エール』の古関裕而(1909~1989、古山裕一)が専属作曲家となったレコード会社です(テレビでは、コロンブスレコード)。伊藤久男(1910~1983、佐藤久志)はコロムビアの専属歌手、野村俊夫(1904~1966、村野鉄男)はコロムビアの専属作詞家でした。このような大手のレコード会社から《新民謡 貝殻節》は売り出されます。

当初は地元の人に歌わせる案もありましたが、武蔵野音楽学校出身で、コロムビアの専属歌手の中野忠晴(1909~1970)が「ぜひ歌わせてほしい」との切望があり、ジャズも歌うテノール歌手がうたうことになります。伴奏は、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、ピアノによる小編成で担当され、吊鐘も加わりますが、西洋音楽にアレンジされています。このように和洋折衷で表現することは、当時の新民謡の一般的な方法でした。

戦後の1952(昭和27)年、そごう大阪店での、朝日放送開局一周年記念「民謡コンクール」において、浜村の子どもたちによる《貝殻節》の発表が、1位に選ばれます。また、1955(昭和30)年、民謡歌手の鈴木正夫(1900~1961)が《貝殻節》を唄い、ビクターからレコードが発売され、全国的にヒットします。

その他、気高町観光協会事務局長の中村勲氏により、「貝がら節祭り」の歴史についてのお話がありました。かつて開催されていました「七夕祭り」が、1971(昭和46)年、「貝がら節祭り」に改名されます。当時は《正調貝がら節》によって踊られていました。

1987(昭和62)年、見る祭りから参加する祭りへと移行し、踊って楽しい踊りを目指し、アップテンポにアレンジされた、《新曲貝がら節》が新たにつくられます。編曲は、煙草屋旅館の息子の鈴木成弘氏、振付は、気高中学校教諭だった梅津洋子氏によって行われます。
2019(令和元)年、《正調貝がら節》を総踊りの一部に組み入れられます。

このように「貝がら節祭り」についても取り上げ、地域資源を理解し普及させていくためのアートマメジメントについても考察しました。

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