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09-1: 地域の記憶を記録する−メディア編

10月定例ゼミレポート(金川)

09-1: 地域の記憶を記録する−メディア編 10/23開催レポート(金川)

2020.03.24

テキスト・写真:金川晋吾

朝9時半羽田発の飛行機に乗って11時に鳥取に着く。まず鳥取駅までバスで移動し、駅近くの温泉まで歩く。駅前は平日の昼間だからだと思うが人の姿があまり見えない。温泉も自分しかいない。温泉はとても気持ちよかった。体がいい具合にゆるむ。温泉を出たところにラウンジの広告が貼ってあって、「ファッションラウンジ スキャンダル 神戸・沖縄の素敵なギャル多数在籍」と書かれている。神戸は自分が学部時代を過ごした場所だ。沖縄と神戸がこうやって並んでいるのを見たのははじめてかもしれない。鳥取と沖縄と神戸の距離感のことを思う。

鳥取に来ると、今自分は人がたくさん集まってくる場所ではないところにいるのだということ、つまり地方にいるのだということを意識するようになる。こんなことを意識するのは、自分が京都府の長岡京市という、とくに何もないけれども河原町や梅田には電車に乗れば出ていけるようなベッドタウンで育ち、東京という大都市になんとなく憧れをもちながらも30歳を手前にしてやっと上京したような人間だからだろうと思う。今回鳥取にやってきてそのことを改めて思う。

午後は鳥取大学で佐々木くんとの打ち合わせ。ふだんのゼミ活動についての話も聞く。ゼミ生とも少し話をする。以前に会ったときよりも自分のやるべきことが明確になっているような印象を受ける。学生の話を聞いていると、「こうしたらいいんじゃないか。こう考えたらいいんじゃないか」と思うことがたくさん出てくる。でも、それを逐一全部言うことが相手にとって本当にいいことなのかがよくわからない。先生という立場のむずかしさを思う。でも、今の自分は先生という立場ではないので、先生として振舞わなくてもいいんじゃないかとも思う。結局、思っていることをとりとめのないまま話す。自分はゲストとして呼ばれているのだから、学生たちが普段接しないような異物であったほうがいいのだろうと思う。

ゼミが終わり、そのままみんなで電車に乗って松崎駅に着いてたみへ。前回書いたリポートに誤りがあったことに気がつく。松崎駅から見えるのは海ではなくて湖で、たみの部屋の電灯も、「床置きの赤っぽい電灯ひとつが真ん中に置かれている」のではなくて、天井から吊るされている。思い出したことを調べずにうろ覚えのまま書くとこうなるのだなと反省する。

にんげん研究会に参加するのは2回目ということもあり、学生の発表を聞くときの自分の態度が前回よりもリラックスしていた、悪い言い方をすると少し適当になっていた。前回は全体を把握するためにできるだけいろんな話を聞こう、ともすると全部聞こうとしていたが、今回はどうせ全部は聞けないということがもうわかっているので聞けるものだけを聞こうと思った。結局発表を聞いたのは三人だった。

一人目の学生Aさんは陶芸家のKさんに話を聞いていた。Kさんは元々は教職についていたが平成16年にやめ、しばらく仕事をしていなかったがその後陶芸家になった。Aさんは聞き取りのためにKさんと会う約束をしていたが、電車をまちがえて待ち合わせに大幅に遅れてしまうが、Kさんは怒るでもなくまちがえた駅まで迎えに来てくれた。菓子折りをもっていったら、そのお礼にタオルやトイレットペーパーなどをたくさんくれた。その後、Kさんの旦那さんも含めて三人でお酒を飲んだ。Aさんは記憶がなくなるぐらい飲んだ。とても楽しかった。

発表を聞くのはおもしろかったが、なぜAさんはKさんの話を聞こうと思ったのかが見えにくかった。もっと自分の話をすること、聞き手であり発表者である自分のことを語ることも大事なのではないか。あるいは、直接自分の話をしなくても、自分が聞きたいと思っていることが浮かび上がってくるような発表にしなければ、Kさんの姿もぼんやりしてしまうのではないか。そんなことを思うが、そのことをその場で言うかどうか迷う。自分はリポーターとしてこの場に来ているのであって、余計な介入をしないほうがいいのではないか。自分の役割について思う。とりあえず、なぜ陶芸家の話を聞こうと思ったのかをAさんに質問する。たしかAさんの地元が焼き物が盛んな地域で以前から陶芸に興味をもっていたという答えが返ってきたはず(メモを取り忘れていてうろ覚え)。

別の部屋に移動。二人目の学生Bさんの発表はだいぶ終盤から聞くことに。Bさんは大学の先生でオーケストラの指揮者もやっているLさんに話を聞いているとのこと。Lさんはとてもエネルギーに満ち溢れていて、語られる内容も盛りだくさんなので、聞いたこと全部を発表することはできない。いや、そもそもLさんのすべてを語ることはできない。ではどうすればいいのか。自分を通したLさんを語るしかない、そのための方法を考えないといけないとBさんは語った。「その人のすべてを語ることはできない」という言葉が当たり前だけど何か印象的なフレーズとして頭に残る。

三人目のCさんは鳥取大学で警備員をしていたMさんについて発表した。Mさんは大学の構内の坂の上の同じ場所にいつも立っていた。大学内を巡回していることもあるが、基本的には同じ坂の上にいた。Mさんはこの坂道を通る人に誰にでも挨拶をしていた。その挨拶に返す人もいれば返さない人もいた。それでもMさんはずっと挨拶をしていた。どういう気持ちで同じ場所にずっと立ちつづけ、挨拶しつづけていたのか、Cさんは気になっていた。

最近はその場所に別の人が立っていて、Mさんの姿を見かけないと思っていた。その人に聞くとMさんは別の現場で働いているとのこと。警備員の仕事を辞めたわけではない(そう聞いて私は何か安心をおぼえた)。CさんはMさんに連絡をとって話を聞いてみることにした。

Mさんは9年前から鳥取大で警備員をしていた。小学校の子どもたちが通るときには安全を強く意識していた。仲良くなった人もいて、日常会話をする人もいた等々。

Cさんは発表するとき、木や緑がある坂道が写っているがとくにどこを見ればいいのかよくわからないような写真をスクリーンに数枚写していた。それはMさんが立っていた坂道の写真であり、Mさんが立っていた位置から撮った写真だった。その写真を私はとてもいいと思った。Cさんの発表を、Mさんの話をもっと聞きたいと思った。自分が孤独というものに関心があることに改めて気づかされた。

Cさんの発表を聞いて、自分はこういう発表が聞きたかったのだと思った。質疑応答の時間、私はCさんの発表を賞賛したい気持ちになったが、でもこういうものをいいと思うのは自分の好みに過ぎないのではないか、Cさんを賞賛することは自分の好みを他の学生たちに押しつけることにならないだろうかとも思った。佐々木くんは何を自分に求めているのだろうかと思ったが、おそらく佐々木くんは何かはっきりとした役割を自分に求めているわけではないのであって、佐々木くんに決めてもらうことはできない。自分の役割は自分で決めるしかない。逆に言うと自分の役割は自分で決めることができる。

にんげん研究会が終わってから少しの時間、何人かの学生と話をした。そのなかに大阪のほうで就職が決まっているが、いつかは鳥取に帰ってきたいと思っていると話してくれた学生がいた。「いつかは鳥取に帰って来たい」という言葉は、この学生にかぎらずこれまでのにんげん研究会のなかで何度か耳にした。

翌日、飛行機搭乗まで少し時間があった。蔵多さんからメールで「鳥取で写真を撮っている友人Gさんの展覧会の搬入の手伝いをやっているのでよかったら遊びに来てください」と言われていたので、その会場に遊びに行ってみることにする。Gさんは鳥取で生まれ育ち、高校を卒業してから東京に出て写真の専門学校に入り、卒業後ウェブ制作の会社に就職した。そこは必ずしも会社に出勤しなくてもいいような働き方を実践していたので、数年前に鳥取の友人の結婚式の二次会の幹事をたのまれたとき、鳥取にいたほうが二次会の準備がしやすいだろうと思って鳥取にやって来たのだが、二次会の幹事を無事務め終えたあとも、東京には戻らずそのまま今も鳥取に残っている、という話をしてくれた。今は鳥取でウェブの仕事とカメラの仕事の両方をフリーランスでやっているとのこと。鳥取での生活が今は楽しいのだとGさんは言っていた。

自分は地元の京都にいつか戻りたいと思ったこともなかったし、実際地元を離れて東京に住み始めてからもいつか戻りたいと思ったことはなかった。でもGさんに会ってみて、たしかに地元で生活することのよさというのもあるような気がした。鳥取の若い人たちが「鳥取に戻ってくる」ことについてよく口にするのがとても印象に残った。

 

金川晋吾(かながわ・しんご)
1981年京都府生まれ。写真家。神戸大学発達科学部卒業。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。三木淳賞、さがみはら写真新人奨励賞受賞。2016年青幻舎より『father』刊行。近年の主な展覧会、2019年「同じ別の生き物」アンスティチュ・フランセ、2018年「長い間」横浜市民ギャラリーあざみ野、など。2020年文化庁新進芸術家海外研修制度でアメリカに渡航予定。

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