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01: 文化政策・アートマネジメントの現状と課題

開催レポート

01: 文化政策・アートマネジメントの現状と課題 開催レポート

2019.11.21

テキスト・写真:藤田和俊

アートを社会にどう生かすかを考える上で、文化政策を知ることは重要である。概論編の第1回目となる今回は、官公庁、自治体の文化政策や芸術団体のアートマネジメントなどに精通する大澤さんを講師に招いた。前半は文化政策の変遷を振り返り、後半では「あいちトリエンナーレ2019」で大きな物議を呼んだ「表現の自由」についてグループディスカッションを行った。文化芸術が社会の中でどのような役割を持つかを「文化生態系」という独特の視点で捉える大澤さんだけに、時代性との関係や政策の説明は非常に分かりやすく、後半の議論も芸術活動の根幹に関わる現在進行形の話題だけに議論が白熱した。

▽文化政策の変遷

文化政策の変遷を辿ると、人々の暮らしや時代性と密接に関わっていることがわかる。江戸時代は、農業技術の発展で暮らしが豊かになり、娯楽を自分たちで作ることが増えことから「お祭りや村芝居を自給的に始め、村単位のルールの中で生活と文化が共存していた」という。明治時代には、国家形成(脱亜入欧、富国強兵)が目的になり、学校教育では美術が産業振興のための描写技術の習得、音楽も軍人の士気を高めることを目指した。大正は「多様な表現が生まれた」時代で、昭和初期までは治安維持と国威発揚のための文化政策だった。大きな変化があった第二次世界大戦後は「国家形成のための文化から、子供の豊かな情操を養うためや、人権としての文化となっていった」と説明した。

その後、日本が高度成長期を経て、物質的豊かさから心の豊かさを求めるようになると、公共事業で文化施設の建設が乱発した。1990年代にできたホール施設は1122カ所にものぼる。これがきっかけで「ハコモノ」への批判が高まり、この頃がアートマネジメントの草創期だった。バブル経済の崩壊のあと、財政難になった行政は指定管理者制度で施設管理を任せ、文化の担い手もNPOや企業のCSRと幅広くなった。大澤さんは「現代に近づくにつれ、次第に、なぜ文化芸術の振興が必要なのか、という問いが生まれてきた」と話した。

▽現状と課題

文化にどのように社会的な役割を求めるかは、時代とともに変わってきた。2017年6月には「文化芸術振興基本法」が「文化芸術基本法」に改正され、文化芸術の振興にとどまらず、様々な分野で取り込んでいくことを趣旨とした。「文化芸術の多様な価値、すなわち、文化芸術の本質的な価値や社会的、経済的な価値を、文化芸術の継承・発展につなげていく」ことがうたわれたが、大澤さんは「文化芸術を活用して終わりではなく、活用によって受けた効果や恩恵を、また文化芸術のために使う好循環が大事である」と強調した。

改正された同基本法の前文には、新たに「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識すること」が追記されており、大澤さんは、あいちトリエンナーレの問題に絡めて「表現の自由」について問題提起された。表現の自由に対して規制がかかった事例を紹介し、そういったことが表現の萎縮や自主規制に繋がるのではないかという懸念がある一方、ではどこまでが表現の自由として許されるのかも議論を呼ぶと言った。「芸術に関しては専門家が決めたことだから口を出さないというスタンスは本当に正しいのだろうか、誰かを傷つけたりする表現も許されるのだろうか」と問いかけ、その後のワークショップでは、個人が思う基準や考え方を話し合い、互いに共有した。

持続可能な文化について、「文化の生態系」の考えを紹介した。「化学肥料と農薬(補助金と政策誘導)を投入することで収穫は上がるけど、どんどん多用すると土壌そのものの力が弱まり生態系のバランスに関わる。だからといってそれを使うなということではなく、また、化学肥料に耐えうる品種に改良するのも間違っている。文化の生態系を持続を可能にするためには、補助金に依存しすぎないことが大事」と話した。

自身の視点で、文化芸術の評価の仕方について、「供給」「調整」「生息・生息地」「文化的」の4つの分野があり、それぞれでいろんな価値があるとした。「多様な意見があっていいと思えるコミュニティーを作る。文化を生態系としてみていくと、大事だと思える側面がたくさんある」と言った。文化と社会のつながり、その中で表現の自由をどう認識していくかー。「こうじゃないといけない」という決めつけではなく、広く意見を聞くことの重要性、その中での〝最適解〟の求め方を投げかけられていたようだった。

▽ワークショップ

大澤さんの講演後には、「表現の自由」について、グループを作ってそれぞれの考えを出し、共有しあった。


表現する側も自由なら、見たり聞いたりする側も自由で、選択する自由があるし…。自由の捉え方は人によるので、一概に表現の自由は難しい」と自由の概念から悩む参加者もいれば、「傷つけて何でもありだとヘイトスピーチとかもありになる。それは認めたくない」と弊害を危惧する声もでた。補助金などの公金についても、「表現されたものの見方は時代によって変わる。良し悪しは時代によって変わるので、それをアーカイブできるのであれば公金の意味はあるのかもしれない」という見方もあった。

そのほか、「発表前に何かしらワンクッションを置いて、見る側が自分で見るもの・見ないものを選択できたり、発表者が表現について説明しておくのがいいのでは」と対策を考える声や、「表現する目的がどうか、が大切。その人にとってその表現でしかその目的を果たせないのであれば、それが犯罪とか傷つける行為になるのならば考えないといけない。その表現が好きか嫌いか、個人個人で判断していくのも大切」と話す人もいた。

大澤さんも、グループディスカッションの時にあえて発言が少なかった人に発表を促し、それもグループの総括的な発表でなく、あくまでその個人の意見を聞いた。それは、大きな声にかき消されない、個人の表現の自由として、声を救い上げた手法であり、最後まで個人個人が自分の意見を大事に持つ機会となった。

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